「花岡事件」からの教訓

毎年630日、私は秋田県大館市が主催している「中国人殉難者慰霊式」に参加しています。

 

ここで簡単に花岡事件を紹介します。

 

日中戦争・太平洋戦争といった日本の戦争遂行のための労働力不足を解消するため、東条内閣の閣議決定(1942年)で約4万人の中国人が日本に強制連行され、働かされました。

 

秋田県の鹿島組(現在の鹿島建設)花岡出張所に連行された中国人への対応ですが、「事件を引き起こす要因となった非人道的行為は、戦争という異常な状況下での出来事であったとはいえ、決して許されるものでありません」と今年の式典で大館市長が述べています。

 

花岡出張所には19448月から456月までの間に約986人の中国人が連行されましたが、過酷な労働と鹿島組職員による虐待、暴力により次々と命を落としていきました。

 

こうした非人道的対応に耐えきれず、中国人は1945630日に蜂起しました。

 

しかしそうした抵抗は軍、警察などによりすぐに鎮圧されました。

 

その後、蜂起した中国人に待っていたのは、数珠つなぎにされ、食料や水も与えられずに炎天下の中で3日間さらされ、拷問が加えられるといった、まさに「生き地獄」でした。

 

そうした残虐行為によって、またしても多くの中国人が無惨にも命を落としていったのです。

 

結果として、986人のうち半数近くの419人の中国人が死亡しました。

 

 みなさんも想像してみてください。

 

自分の肉親、関係者がこうした非人道的な対応の末、命を落としたとした場面を。

 

私はいたたまれない気持ちになります。

 

こうした悲惨な事件が起こったのは花岡だけではありません。

 

日本に強制連行された中国人は約4万人、そのうち6830人(約17.3%)の中国人が命を落とされました。

 

ソ連軍によりシベリアに抑留された日本兵の悲劇的な状況が言われますが、それでも死者の割合は約10パーセントであったことと比較しても、強制連行された中国人にどれほど非人道的な対応がなされたかが分かります。

 

 ジュネーブにある国連人権理事会の史料館には「19319月、日本軍が中国を侵略する(invades)」と記されたパネルがありますが、日本の侵略戦争の結果、花岡事件での中国人のように、多くの外国人が非人道的扱いを受けました。

 

 いまの日本国憲法で徹底した「平和主義」が採用されているのは、日本の権力者が二度とこうした悲惨な事態をもたらす戦争を起すのを防ぐためです。

 

また、「花岡事件」に代表される戦後補償の重要性は、非人道的な対応を受けた人への謝罪の気持ちを表明することに留まらず、こうした悲惨な出来事を振り返ることで戦争の悲惨さを再確認し、やはり権力者に戦争を起こさせないという気持ちを市民に共有させることにもあります。

 

ところが日本の政治家の現実はどうでしょうか?

 

安倍首相、石原慎太郎氏、橋下徹大阪市長といった日本の政治家はたとえば「従軍慰安婦はなかった」「従軍慰安婦はやむを得なかった」などと発言し、「従軍慰安婦」などへの謝罪を拒否しています。

 

 2012年4月に自民党が作成・公表した自民党「日本国憲法改憲草案」では、国防軍による海外での武力行使が可能になり、戦前の「軍国主義教育」のようなマインドコントロールも可能になり、さらには戦争に反対する言動などを規制・弾圧することも可能になります。

 

 こうした日本の政治、主権者として私達はどう考えるべきでしょうか?

 

 追伸:このブログ、ほんらいは1ヶ月に1回程度掲載の予定ですが、今回は臨時で掲載させて頂きました。 

 

飯島滋明